本読まないと死ぬのに

本読まないと死ぬと思うが、死ぬのは精神面であって身体ではない。

それをいいことに最近あまり本を読んでいない。疲れてることを言い訳にだらだら動画見たりゲームやったりする。

ゲームはやることが決まっていてわかりやすいので、頭をあまり使わないで済む。とはいえ疲れは溜まる。

 

それにしても、今日は本当に出勤したくなかった。マジでやることない。

やることないのに会社にいなきゃならない、そのことが一番疲れる。

股関節が引っかかる

長いことインドア派でデスクワークなので、足腰がだいぶ弱っている。ついでに体力もない。

というのがかなりヤバい、という自覚はあり、ヨガやストレッチをやっているが、とにかく股関節がヤバい。

脚を左右に開く動き、例えばワイドスクワットなんかやると、関節が痛すぎて浅めの動きになってしまう。あの痛みは真面目に限界を伝えているやつだから無視できない。てか痛い。

仰向けになって膝を曲げて、股関節を中心にぐるぐる回すような動きをすると、マジで音が鳴る。痛くはない。でも一周するごとに、何か引っかかったものがズレてはずれるような、小さい音がする。

ということは股関節の位置がおかしいわけだ。

ついでに言うと股関節周りの筋肉が固まってて動かしにくいし、位置の調整もしづらいのだろう。

これはもう解決策は一つしかない。

ストレッチを続けてひたすら筋肉をほぐす。

いずれ凝り固まった筋肉が緩んで動かしやすくなれば、もっとスクワットもやりやすくなるはず。

 

 

ところで、ヨガで三日月のポーズというのがある。おおまかに言うと、片膝立ちになって上半身をちょっとそらした姿勢になるので、股関節がけっこうつらい。

本当なら、腹筋や臀部周りの筋肉に力を入れて姿勢をキープするものなので、股関節がそんなにつらくなることはないはず。

だがあらゆる筋肉が不足しているため股関節がそのぶん負担を受ける。

とてもつらい。

このポーズ続けても大丈夫なんだろうか。

がんばれ身体。

 

 

体の軸的な筋肉を鍛えたい

全身くまなく筋肉が足りない今日この頃、特に体の中心付近の筋力が弱いことに気づいた。

 

運動不足解消のために動画を見ながらヨガや筋トレをやることがある。

その最中、姿勢を保てなくてぐらつくと、体は自然に、両足の外側(つまり右足なら右側、左足なら左側)に体重を偏らせる。そして足の内側が浮いてしまう。

内腿も力を入れるとすぐに震えてしまう。ポーズを保つ筋力が足りない。

 

上半身に関して言えば、昔から猫背で顎を突き出す姿勢だったので、腹筋も背筋もない。使っていないので、ないものはない。

(普通の人たちは姿勢を保つ上で腹筋と背筋を使うので、ある程度は筋力があるんだなあ、ということを最近初めて知った。実感した)

 

体の中心付近、体を真っ直ぐに貫く軸のような部分。そこの筋肉をどうやって鍛えるのか?

(ところでこれは体幹というやつなんだろうか?)

 

いろいろ調べてみたが、まあ、オーソドックスにスクワットがいいらしい。全身の筋肉を使うというし。

あと寝転がって脚パカ運動。これはやりやすくていい。一回やったら翌日さっそく筋肉痛になった。どんだけ衰えてるんだお前。

 

毎日必ずやれ!!と言っても聞かない人間だとよくわかっている。なにせ自分のことだ。毎日やると飽きて嫌いになってしまう。

だから一日置きでもいいし、毎回違うメニューでもいいから、嫌いにならないように運動すること。筋トレじゃなくてストレッチだけでもいい。なんでもいいから体を動かすこと。

…を、今年の目標としたい。

 

文章の栄養摂取

子供の頃から活字好きなので、文章に関しては好き嫌いがけっこう強い。というか、はっきりしている。

 

最近読んだ本でまったく栄養摂取できない、恐ろしい文章に出会ってしまった。

話の内容は理解できるが、それ以上でもそれ以下でもないというか…

文章が上手い下手の問題ではなく、「読んだ人にどう感じて欲しいのか」がわからなかった気がする。

聞いた話をそのまま文字にしました、みたいな。いっさい装飾しませんよ、という。

でもそれだと文章として読んでて面白くないんだよなあ。

 

文章を読んでも、書いてある意味しか取れないようなのはもう駄目だと思う。たとえ学術的なものでも、読んだ人に何かを渡せるというか、何か残せるようなものでないと。

 

でもそれ以前の問題もある。

ネットの記事にはだいぶ慣れてるつもりだけど、時々「何を言いたいのかわからない」文章に出会う。個別の文章の作りや全体の構造が支離滅裂なものも。

単なるブログとかならまだしも、それがネットメディアのページにも普通にあって、頭を抱える。

この状態でよく表に出せたな、という気持ちになる。いや褒め称える気はない。呆れとか軽蔑のニュアンスなんだが。

 

まともに読めるもの、読んでて美味しいもの。それを探そうとすると紙の本に行き着く。

経験的に、紙の本は栄養のある文章を見つけやすい。まだネットより信頼できる。

 

ただ、本を話題にできる相手がいないよなあ…。

いやそれはずっとそうだけど。

 

スマホは紙の本よりアクセスしやすいけど、栄養のある文章を探すのが難しいし、なにより長いこと液晶を見つめて細かい文章を読むのは辛い。

 

 

困難が多いなあ。

栄養摂取したいだけなんだがなあ。

帰省

帰省すると、とりあえず一人ではなくなるので、一人でいることによるネガティブ思考ループはぴたりと止まる。

それで思ったが、一人暮らしの部屋にいるときに延々とネガティブ思考がリピートし、しかも親に対する攻撃的な思考が強まるのは、寂しさの裏返しなのではないか?

なんだか困るし、子供っぽいけど…でも普段の生活で職場の人にしか会わないから、人間関係の貧しさから寂しさが極まってて、そのうえ他に助けを求められそうな人がいないから、全部それが親に向かうのかもしれない。

 

久しぶりに吐いた息が白い

日が落ちた外で息を吐いたら白かった。久しぶりに見た気がした。

やけに温かい日があって冬にしてはおかしいけど、一応は冬なので朝晩冷え込んで息が白いのくらいは普通では…?と自問自答し原因が判明。

コロナでほぼ一年中マスクをしてるから、見る機会がなかったんだ。

 

それまでマスクをつけるのは花粉症の時期だけで、まだ花粉が飛ばない12月はあまりつけていなかった。

だから12月中は白い息が見えていたわけだ。

ふーん…。

 

 

まあコロナ関係なく、12月でもインフルエンザ予防とかでマスクをつけるのは大事だ。うん。

ゲ謎を手放しで褒められないめんどくさい自分

ゲゲゲの謎、観てきた感想。

めちゃくちゃ長くなってしまった。

 

 

まず、

 

とても面白かった。

 

と見終わったあとマジで思いました。

閉鎖的な村と人々、跡目争い、殺人事件。その傍らにひっそり存在する妖怪たち。

戦後の粗野なパワフルさを思わせる水木の野心、醜い人間たちと対比されるように妻への思いだけでやってくるゲゲ郎。

最初はヒロインとして都合がよすぎる描写では?と思われた紗夜にもそれだけの理由があり、

そしてそれはあの一家の兄弟たちも同様だったことだろう。彼らは時貞にとって自我の延長だったはず。

逆らうことはありえない環境で育つ以上、適応するしかない。適応すれば本当に時貞の延長としての存在になる。

そうした哀れみを覚えつつ、最後には死なないと解放されないんだよなあとも思っていたのできちんと崩壊してくれてよかった。

あとアクションシーン。細身のゲゲ郎が縦横無尽に暴れまわるのは楽しかった。

 

まあそんな感じで。

ふだんあんまり映画見ないので、今年見た映画と比較しようとすると必然的に『ヴェネチアの亡霊』になってしまい、比べるまでもなくゲ謎が面白かったんですが。

でもなんかしっくりこないなあ、説明されてない部分も多いなあという部分もあり、そこについてしばらく考えていたのでメモする。

(ただしパンフレットとかネット記事とか読んでないので、映画で明言されてないことについては間違ったことを言ってる可能性大)

 

1.神社の存在

最初の方に「龍賀の家は代々、神社の神主をやっている」と説明される。

とすれば客は「ここにラストへつながる何かがあるんだな」と思うはず。「因習村」という前評判を知っている人なら、ここに妖怪たちを巻き込むヤバい儀式とかあるのかも、と予測するだろう。

でも最後まで見てみたら、この神社の話はまったく出なかった。

由来とか何を祀ってるとか、そんな話はない。大地鳴動を感じた乙米が「龍哭?」と思わせぶりに言ったのはなんだったんだ。

というか、場所も…あの湖の真ん中にある禁域に神社があるってことでいいのか?あれがそうだと明言されてなかったような。

ただ時麿が神主姿であることの理由にしかなってないというか…龍賀の当主である証明、道具立てというだけなのか?

じゃあ神社を作ったのも、「代々」と歴史がありそうな表現をしたのも、時貞なんだろうか。

 

2.時貞がやったのはどこまで?

妖怪を使ってやばい薬を作る事業を始め、家族や村人を使役したのは時貞。そこは確定。

ではその事業を安定させ、さらには自分の野望を叶えるために「古より続く神社」を偽装したかというと…それはあんまり取らなそうな手段だよなあ。なんだか回りくどい。

だいたい禁域のあれも、いきなり時貞が思いつくことはないだろう。霊力だの妖怪だのの知識があって初めて考えることだから、神社というバックボーンは必要。

  • 神社は昔からある(少なくとも時貞が生まれる前から)
  • 龍賀が神主を代々やってきた
  • 一族には霊力がある(ゲゲゲの世界での「霊力」がどんな仕様なのかわからないけど)
  • 霊力や妖怪に関する知識の蓄積から、時貞は事業を始めた。鬼道衆の力も使ったが、最初から関与があったのかは謎(長田の年齢からすると、彼自身は事業開始後の合流のはず。それ以前から鬼道衆が関係していたのか?)

で、これらのことから、

  • おそらくあの兄弟の中では時麿が一番霊力が強い(乙米が隠し通路から憔悴した様子で出てきて「私には鎮められない」みたいなことを言っていたので)
  • 神社が昔からあったのが事実なら、乙米の「より霊力の強い子供を作るため、龍賀の女は当主に捧げられる(うろ覚え)」みたいなのは、たぶん時貞より前の代からやっていたこと

というところまでは確定していいのかなあ、と思う。

しかし…うーん…近親相姦についてはどこまで本当なのか。

正直、家族への支配欲求が強くて自意識が肥大化した時貞が始めたとしても問題なさそうな気がする。

 

3.意外とみんな普通の人

龍賀のご一家、思ったより普通の人ではないかと思っている。

というより、異常なのは価値観だけで、頭の働きや外面に気を使うところは常識に則っているように見える。

何が言いたいかというと、もし本当に代々の当主が近親相姦を繰り返してきたというなら、一族に障害や先天性の病を持つ人がもっと多くいるのではないだろうか。

それに該当するのは時弥の病弱さくらいで、あとはみんな普通だ。

 

時麿は跡継ぎ指名後の大泣きシーンが印象強く、道化感がある。が、直後の乙米との会話ではごく普通に受け答えをしている。水木の前知識では「病弱で人前に出ない」とのことだったが、作中ではその描写がなかった。まあすぐに死ぬからしょうがないが。

乙米は見ての通り、あの村と家の実質トップ。実務能力が高い。家の価値観にやられているだけ。

丙江は駆け落ちから連れ戻されてああなったらしいので、連れ戻されたときにぶっ壊されたのだろう。その前については水木の「写真と印象が違う」くらいしか情報がないのでわからないが、あの写真では快活そうなお嬢さんという感じだった。

(しかし娘の名前に丙の字をつけるのはどうなんだ…丙午を知らないはずがないのに。時貞的にどんと来いだったのか。それとも制作側が、他に名前に使えそうな字がなくて選んだのか)

同じく孝三も、禁域でいろいろあって今の状態になったというから、以前は乙米のような「価値観はやばいかもしれないけど普通に生きられる人」だったのでは。

じゃあ庚子の不安定さはどうなのか。時弥の母親だし、近親係数の高さによるものである可能性は他の兄弟より高そうだ。でも一方で、兄姉のように、何かしらの経験で一気にメンタルが壊された可能性もある。

 

…という感じで、思ったより作中で「代々の近親相姦」の証になるものが見つからないと思った。

なら時貞がラストで「この世を後進に任せるわけにはいかない、この私がやらねば」と言ったあのメンタルで、

もっと若い頃に「この私の血を継ぎ、霊力を更に高めた子を作るために、子孫を奉仕させよう」と思って、娘たちに手を付けたと考えても問題ないのでは?

もちろん素人なので何が確実な兆しなのかは、詳しくはわからない。でも映画を見るのは素人ばかりなので、制作側からすると「素人にも伝わるように描く」のは基本だろうし…。

まあ制作側が「この辺は別にいいや」と思って描写しなかったら、そこまでなんですけどね。

 

いやでも祖父・孫や叔父・姪よりも近い父子での近親相姦ってやるかな…実はpixivのある感想を見るまで、父子での近親相姦は想定してなかった。でも名前の「時」の字や見た目で似てる点を手がかりにするとそういう考察になるとか。

(時の字を持つものが時貞の直系男子で跡継ぎ、という考察だった)

 

少なくとも父子での近親相姦は「頭で考えてやる」より「衝動的・感情的にやる」イメージが強い。

ただ、「自分より弱いものを虐げて無力感をはらす」意図はまったくなさそう。「俺のものである以上どう扱ってもいい」という発想か。

関連して、時貞の妻がどんな人だったのか、どんな扱いを受けていたのかが気になる。作中でまったく言及がないので、あの兄弟たちみんな父親から生み出されたと言われても頷いてしまいそうではある。

 

ちなみに紗夜もすごく普通の子だったと思う。外への憧れが強かったのは、自分の境遇を嫌悪する裏返しなんだろうけど、母親と違ってまだ子供であり「諦めてない」ことと、外から婿入してきた父親の存在も大きかったんだろうな。

 

でも紗夜の事件はあくまで派生なんだよなあ。

 

4.殺人事件、ラスボスに関係なかった

ここなんですよね…手放しで褒められない最たる理由。

閉鎖的な村へ行ったら殺人事件に遭遇。その村には代々続く家柄と神社があり…となればこの殺人事件はその神社に関係ないといけないし、事件がダイレクトにラストへ繋がらないと困るんですよ!

ってミステリ村のはずれに住んでる私の一部が叫んでた。

オカルト好きな私は、妖怪と人怖でまあまあ喜んでますよ。でも一方でミステリ好きの私が「違う…何かがズレている…」と唸る。

華々しく始まった殺人事件が本題に繋がってなかったサブ的な存在だったってのがなんか許せんのですよ。もしあれが、「思い悩む紗夜についた狂骨の仕業」ではなく、「時貞が復活し支配者として返り咲くために、邪魔な奴らを処分したかった。そのために狂骨を紗夜につけた」ってことなら一貫していたのに…。

更に冒頭から紹介された神社の影も薄いのが残念なのですよ。

私が「因習村」の前情報を聞いてしまい、横溝正史的なイメージを事前に持ってしまったのが間違いだったかもしれない。しかしこれは妖怪がメインの映画で、ミステリではないのだった。

 

でもやっぱり、周辺情報が足りない…。それに紗夜の状態に水木が気づいた理由についても、唐突な印象。それまでに「妖怪と一緒にいたせいで幽霊が見える」ってシーンがあっただろうか?思い出せない。

 

そういう細かい不満が他にもある。例えば他の妖怪たち。

 

5.近隣の妖怪たち安穏としすぎでは

ゲゲ郎が村の近くで妖怪に聞き込みをしたり、湖からの脱出で河童の力を借りているように、あのヤバい村の近辺には普通に妖怪が暮らしている。

でも湖の真ん中の禁域では、その島に暮らす妖怪たちは穴のせいでおかしくなっている。

…いや、危機感ないの!?河童とか。ヤバいエリアの近くにいたら自分も危ないと思って離れるが普通では?妖怪の感覚は違うのか?

しかも村に住んでるのは妖怪を搾取する人間どもで、妖怪退治ができる鬼道衆もいる。みんな逃げてよ!

 

というわけで妖怪のみなさんが心配だった。

逃げたのねずみくらいだったなあ。しかもギリギリ。

あ、ねずみ男が逃げようとしてすぐ逃げられたくらいなので、他の妖怪もそう思ってたってことなのか?

 

 

 

 

まあ、こんな感じで…。

主たる私の不満点は4です。ここが繋がらなかったのは痛い。

とはいえ、あそこであの場所と紗夜含む「時貞の被害者」たちを片付けておかないとラスボスに挑めない感じもわかる。

でもな〜、なんかな〜。やっぱり神社の由来も含め、作品の舞台説明に必要な描写が足りてないというか、屋台骨がちょっと弱めな感じ…?

戦後すぐの様子を伝えるための描写はしっかりしてたと思う。個人的には列車の喫煙とか子供がずっと咳き込んでるのとか、そのへんはよかった。水木も単なる野心家ではなくて、ちゃんと納得できる理由が用意されてたし。

 

なんだかゲゲ郎の話をほとんどしていないが、彼はほんと妻の話しかしないので…列車で水木に「死相が出てる」って言ったシーンについては何も展開がなかったし、言動が首尾一貫してるので考察の余地はなく、そう、親父殿強いとしか言いようがない。

家族を自分の延長として支配する父親と、家族を個別の存在として受け入れその幸せを願う父親。この二者の対決がクライマックス。

水木も誰かに支配され使われるのを拒否し、そんなものぶち壊して未来へ進む。その未来はゲゲ郎が守りたいと望んだものの一つで、もう一つの「守りたい未来」である鬼太郎と交わり…。

 

 

そういや、鬼太郎が墓場から生まれる設定は最高だけど、やっぱり子育飴の話から来てるのかな。

 

…あれっ?そういや乙米以外の龍賀ってどうしたんだろう。紗夜父の最期はあったけど。孝三とかは?まあみんな最期は同じか。